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広島地方裁判所三次支部 平成元年(ワ)10号 判決

主文

一  被告乙山市は原告に対し、金三五〇万円及び内金三〇〇万円に対する平成元年六月二九日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告乙山市は、広報乙山に別紙一記載の「お詫びと訂正」と題する謝罪文を二段抜き見出し二倍活字で同紙最終面に一回掲載し、かつ、右の謝罪文を縦七三センチメートル、横五二センチメートルのポスターにして左記掲示場所の見えやすい箇所に六か月間掲示せよ。

1  乙山市役所の掲示板

2  乙山市内の各小学校、中学校の掲示板

3  乙山市内の各公民館の掲示板

三  被告丁原町は原告に対し、金五〇万円及び内金四〇万円に対する平成元年六月二九日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

四  被告丁原町は、広報丁原に別紙二記載の「お詫びと訂正」と題する謝罪文を一段抜き見出し二倍活字で同紙最終面に一回掲載せよ。

五  原告の被告らに対するその余の請求を棄却する。

六  訴訟費用は、原告に生じた費用についてはこれを五分し、その一宛を原告と被告丁原町の各負担、その三を被告乙山市の負担とし、被告乙山市に生じた費用についてはこれを三分し、その一を原告の負担、その余を被告乙山市の負担とし、被告丁原町に生じた費用についてはこれを二分し、その一宛を原告と被告丁原町の各負担とする。

理由

一  請求の原因1のうち、原告の甲田小勤務以降の経歴、原告が丁原町民であること、被告乙山市、同丁原町が普通地方公共団体であることは、全当事者間に争いがなく、原告が昭和五四年四月一日大阪府に教員として採用されたことは、《証拠略》により認められる。

二  請求の原因2について判断する(被告乙山市の認否は前記のとおりであるが、被告丁原町との関係で証拠により事実認定をする必要があるので、争いがない部分を一々判示しない。)。

1  請求の原因2(1)について判断するに、先ず、《証拠略》によれば、別紙「1 甲田小学校差別事件の経過」(以下「別紙経過」という)と「2 市教委の取り組み」(以下「別紙取り組み」という)記載のとおりの事実が認められ(別紙経過、別紙取り組み中、担任とは丙山教諭、M教諭、主担者とは丁川教諭、校長とは戊原校長、O教諭とは原告を指すことは関係証拠上明白である)、これによれば同2(1)の第一、第三段の各事実が認められる。

そこで、同2(1)のうち、本件全体の発端となり、基軸となつたA子に対する「エタ・非人」との発言が現になされたか否かとの点につき検討を加えるに、右認定の別紙経過によれば、授業開始前のA子の丙山教諭に対する最初の訴えでは、前から三列目の自己の席に座つていたところ(《証拠略》により認める)、後ろの方で、誰かがこそこそしやべつており、右発言は、そこから聞こえてきたが、後ろを向いても誰もおらず、発言者が男か女かもわからないとのことであつたこと、同日三時間目の授業前の二度目の丙山教諭の確認時点でも、A子は「だれが言うちやつたかようわからん。ほんまにようわからん。ちがうかもしれん。」と回答し、さらに翌七月一日二時間目の三度目の丙山教諭の確認時点でも、A子はだれが言うたか「ようわからない。もういい。」と回答していること、ところが、その夜、部落解放同盟甲田支部定期大会において、丁川教諭とA子の母、同同盟甲田支部長とが接触した後の七月二日、しかも、同日の職員朝会で丁川教諭が事件の概要を報告し、部落解放同盟甲田支部に正式に報告することとなつた後の四度目の確認時点からA子は供述を変更し始め、丙山教諭に対し、誰もいないと言つていたが、「二~三人だつたとおもう。」、しかし、誰がいたのかは「ようわからん。」と回答し、さらに同日午後七時ころA子宅を訪ねた丙山教諭に対し、初めてB(男)の名前が明らかにされ、これがその後維持されるに至つたことが認められる。

右に関し、証人丁川秋夫は、同教諭が七月一日午後四時ころA子と相談室で話し合つた際、A子は、右「エタ・非人」との発言が、後ろから、二、三人の男の声でなされた、そして、誰々君、誰々君と三人の名前をあげてその児童を特定したが、その中の誰が言つたかは分からない旨同教諭に告げたと証言する(第九回調書九一項から一〇九項)。しかし、同証言は、次の理由から採用できない。すなわち、右「エタ・非人」との発言については、既に原告が同月中から差別発言といえるか疑問を呈しており、少なくとも原告と丁川教諭との間で重大な対立点の一つとなつていたのに、別紙経過中にも、また、甲田小の総括文書である《証拠略》中にも二四頁以下の同証人の自己総括文を含めてその旨の記載が一切なく、しかも、その理由が同証人の証言(第一二回調書一一〇項以下)によつても不分明であり、先ず、この点で決定的に疑問があること、また、丁川教諭は、右のとおりA子から発言者と覚しき三人の名前(丙山教諭のクラスである)を聞いた旨証言しながら、丙山教諭にはこれを伝えてさえおらず(第一二回調書二五三、四項)、右特定された三人に対しても何らかの教育的措置を採らなかつた(同調書一四〇項)というのであつて、この点も同和教育主担者であり、丙山教諭に対してすぐ事実関係を確認してくれと要請した丁川教諭としては余りに不可思議な対応であること、その他同証言中の同時点での丁川教諭の心境を述べる部分(第九回調書一〇二ないし一〇六項)や七月一日朝A子の母から電話があつたとする部分(同調書八一ないし八四項)も前掲甲二七号証中の自己統括文二四頁末尾(まだ「本当だろうか。」)、二五頁冒頭(七月七日)の記載とそぐわないことなどを総合斟酌すれば、丁川教諭の前記証言を事実と評価するには遠く及ばず、むしろ同号証五頁最末尾の記載と同じく後日の意識的な作為(第一一回調書一九五、六項)をさえ感じさせる。

以上のとおりであり、証人丁川秋夫の前記証言は採用できず、他に前記認定を覆すに足りる証拠はない(なお、A子の母の手記である乙七五号証は、立証趣旨に照らして判断を要しないが、ただ、A子が「ぎくつとして、すぐには振り向くことさえ出来ないショックをおさえ、ゆつくり振り向」いたとあるのは、既に「エタ・非人」との発言が実際にあつたことを前提としてのみいえることであり、かつ、A子がゆつくり振り向いたことを裏付ける証拠は全くないから、証拠価値はないに等しいことを付言しておく)。

そこで、前記認定の事実関係に基づき判断するに、A子の訴える「エタ・非人」発言がなされた状況については、結局のところ、後ろの方で誰かがこそこそしやべつており、そこから聞こえてきたが、その場に誰がいたかは一向に分からないばかりか、誰もいなかつた可能性さえ否定できないという極めて具体性の乏しい、あやふやな事態であるというに尽きる。というのは、先ず、A子は丙山教諭に対して差別の被害を訴え出、丙山教諭もまた「それは大変な差別で。」とA子に対して受容的に応答しているのであるから、その時点で語られる原初的内容が時間的にも接着し、かつ、他からの無用な影響を被らない最も信用できる供述のはずである。ところが、その肝心の供述内容が、前記認定のとおりに、後ろで誰かがこそこそしやべつていたという以上に有意味な情報はなく、発言の動機、目的、態様は勿論、人数、人物の特定はおろか、男か女かさえわからず、まして後ろを向いた時点では誰もいなかつたというのであるから、文字どおりに「エタ・非人」というその言葉だけが宙に浮いて存在している事態なのである。したがつて、このような事態をより具体性をもつて解明しようにも、およそ解明のしようがなく、追及されれば、誰かがこそこそしやべつていたとされる関係上、人数としては、それに相応しく二、三人ないしせいぜい四、五人、男か女かといえば、どちらでも任意の指定をすればよいのであつて、後に、A子が「二~三人の男子児童がいた」ようだと話したところで、実のところ、それは当初語られた事態から必然的に導かれる事柄であつて、これによつていわば情報量が増え、より具体性をもつた話となつたわけでは決してない。それゆえにこそ、A子自身、丙山教諭の二度目、三度目の確認に際し、「だれが言つちやつたかようわからん。ほんまにようわからん。ちがうかもしれん。」「もういい。」と回答するほかなかつたのであり、その後、さらなる追及(《証拠略》によれば、A子の母からも)を受けるうち、次第に人数、性別が明らかにされ、そして、遂にBという特定の児童名が挙げられたに過ぎないのであつて、このような供述の変遷経過はA子が答えに窮している有様を如実に示しているのである。したがつて、真実「エタ・非人」との発言があつたか否かと問われれば、甚だ不分明、というよりも、右当初の訴えにより語られた事態の抽象性とその後のA子の供述の変遷経過とを慎重に吟味する限りは、むしろA子の聞き違いであり、そのような発言はなかつたと判断されるべきなのであり、極論すれば、仮に、A子の虚言あるいは戯言であるとさえ主張されたとしても、これを否定すべき確固たる資料はなに一つないというほかないのである。

ところが、別紙経過及び取り組みと《証拠略》とを総合考慮すれば、その後、犯人捜しはしないとの方針のもとに、最も重要な事実の確認、特に、A子に名指された児童に対する発言の有無、当時の教室内の状況、A子らとの位置関係等々の具体的事実の調査までもが怠られた(但し、丙山教諭の第六回調書五八項によれば、同教諭は昭和六二年七月中にBについて事実確認をしたが、そのような発言をしていないとの感触を得ている)ために、「エタ・非人」発言があつたという積極的方向にも、逆に、これがなかつたという消極的方向にも真相が解明されず(そのため、昭和六二年一一月ころ、本件甲田小問題が国会で取り上げられるに及んで初めてその不手際に気付き、あわててA子に名指された三名の男子児童を呼び出して調査するという失態を演じることになる)、しかも、同年七月一〇日、A子自身がクラス全員の前で、私に「エタ・非人」と言つた人はいませんか、と発言するに至つたことから、前記のとおりに事実関係の具体性が全くない、その意味で宙に浮いたままの「エタ・非人」という言葉だけをめぐつて、その発言の存在を信じるか否か、あたかも信仰告白をするかの如き不毛な状態を招いたばかりか、右発言の存在を自明のこととして差別事件が起こつたとみる市教委、甲田小当局の見解と、その存在に疑問を留保しつつ、少なくとも事実関係が曖昧な以上「差別」事件が起こつたとみてはならないとする原告の見解との対立に加えて、A子の心情を理解する、しないとか、A子の立場に立つ、立たないとかいつた、事柄それ自体の究明と解決のためには無用かつ有害な情緒的論理が持ち込まれたことによる対立、さらには、後記のとおりの丁川教諭の「暴力事件」をめぐる対立やその他の政治的、党派的対立が生じたために問題が極度に複雑、困難化したというのがことの実相であると認められる。

なお、この点、後記研修命令との関連で、次の点を指摘しておく。すなわち、前記認定と説示から明らかなとおり、原告の右見解は十分に成立し得る見解である、というよりも、かく判断することこそ健全な良識というべきであるのに、右摘示の市教委、甲田小当局の見解は、事実関係に立脚した合理的判断とは到底いえず、かえつて右見解を採ること自体が事実関係を離れた一つの思い込み、立場的決定なのであつて、これが甲田小職員会議等で何度も確認されたからといつてそれが真実であることにはならず、また、原告がかかる決定に従うよう拘束されるいわれもない。

以上の次第であり、請求の原因2(1)は、全て原告主張のとおりに認められ、他にこの認定を覆すに足りる証拠はない。

2  請求の原因2(2)については、別紙経過と取り組み及び《証拠略》によりこれを認める。七月四日の職員朝会とその後の臨時職員会議における原告の発言は、別紙経過四頁記載のとおりであるが、その趣旨を整理すれば、原告主張事実のとおりであることは明らかである。

3  請求の原因2(3)について判断するに、別紙経過六、七頁及び《証拠略》によれば、「甲野、どこに憶測があるんだ」とあるのを「何が憶測なんか」と訂正するほか、原告主張のとおりの事実が認められる。右経過中には、M教諭はO教諭の肩を左手で押し、O教諭は、すぐ後ろのロッカーにふらついて寄りかかつたとあり、甚だ微温的に表現されているが、《証拠略》によつてさえも、丁川教諭が「何が憶測なんかと言つて左手で左肩を突き放した」ところ、「甲野先生が後ろへ倒れた」のであり、その会議の終わりころ、「部落出身の」甲田小職員の一人が「出身宣言をするなかで、『甲野先生、肩が痛みますか。(中略)あなたの肩の痛みが、部落民の心の痛みです。』という発言をし」、これに和して丁川教諭が拍手した(もつとも、右出身宣言に対してとのことである)事実が認められるのであつて、かかる事実関係を前提に《証拠略》を併せ斟酌するならば、請求の原因2(3)の事実が認められることは明らかである。被告乙山市は、診断は四日後のことであり、特に翌一一日には原告自身元気に水泳指導をしている旨主張するけれども、たとえそうであつたとしても、日々刑事裁判をも担当している当裁判所にとつては、診断が暴行の日より遅れることや、右程度の傷害であれば、その間の日常生活に目立つた支障がないことは一般の傷害被告事件の審理を通じて顕著な事実であり、何ら右認定の妨げとなるものではない。

4  請求の原因2(4)は、別紙経過と取り組み及び《証拠略》により認められる。

5  請求の原因2(5)もまた右各証拠により認められる。

6  請求の原因2(6)は、本件第一次、第二次研修命令が違法であるとの点を除き、《証拠略》により認められる。

7  請求の原因2(7)は、名誉を毀損するとの点を除き、《証拠略》により認められる。さらに右各証拠によれば、実行委は、その準備から結成に至るまで事務全般を市教委同和教育課が担当したほか、本件ポスターの作成その他の活動も右同和教育課長が提起し、運営していること、事務局は、局長が部落解放同盟甲田支部長であるほか、次長以下会計まで被告乙山市の行政、教育関係職員で担われており、しかも、昭和六三年四月一四日の結成総会以後、一度も総会が開かれておらず、会計報告さえなされていないことが認められ、以上の事実関係からすれば、実行委は、他の民間団体がこれに協賛しているとはいえ、単に名義だけの参加に過ぎず、団体としての実質はないに等しいのであるから、これを独立の法的存在と認めることは困難である。したがつて、本件ポスターを作成、流布した実行委の行為の責任は、これを現に担つている被告乙山市に全面的に帰属すべきものである。

8  請求の原因2(8)について判断するに、《証拠略》によれば、本件第二次研修命令発令後の昭和六三年五月二〇日、原告は、広島地方裁判所に対し、本件行政訴訟等を提起したが、その審理中で右命令による研修中でもあつた同年七月五、六日ころ、乙山市市会議員数名から市長を通じて甲川教育長に対し、原告と協議の上、本件行政訴訟を終結させるよう要請があつたこと、そこで、甲川教育長は、同月六日午後八時三〇分ころ、原告と面談し、種々交渉の結果、原告から(1)何らかの名誉回復の措置をとること、(2)学校への帰属に当たつては、理科専科教員としての勤務が容易に出来るよう経過的措置をとること、(3)(1)が実施された場合、原告は研修中の身体的、精神的苦痛については主張しないとの三点の要望が出され、これに対し、甲川教育長は、翌日午後回答する旨を約したこと、翌七日、甲川教育長は、右三点の要望を受け入れる一方、原告に対しても、学校経営に協力するよう求め、結局、「訴訟の取り下げが急を要すると判断し、研修の中止とした。取りあえず職場へ帰し、名誉回復、職場への受入れなど誠意ある実行を示していきたい。甲野教諭は教委の誠意ある実行に応じる。」との文書作成の上、同月九日をもつて研修命令を取り消し、その上で原告も本件行政訴訟等を取り下げることが合意されたこと、ところが、部落解放同盟が「当事者」たる同同盟甲田支部抜きに右研修中止の話を進めたことに異論を唱えたことから、同月八日、丁野郡戊山町にて部落解放同盟丙田県連合会との調整がもたれたものの、同月九日には右研修取消命令を発令することができず、そのため、同日、甲川教育長は、急遽、市議会議長ともども奈良県滞在中の甲山梅夫部落解放同盟丙田県連合会委員長を訪ね、右研修中止の了承を求めたこと、そして、翌一〇日、甲川教育長と原告とが再度右学校経営の協力について協議し、その結果、「甲田小学校の学校運営に協力していきます。」「甲野先生出席のもと、以上のことを確認しました。」との同日付文書が作成され、甲川教育長のほか、同席した乙川一郎乙山市会議員、戊原校長らがこれに署名したものの、原告は、同文書への署名を拒絶したこと、その後、同月一一日、本件第二次研修命令の取消が発令され、同月一八日、原告からも本件行政訴訟等が取り下げられたこと、なお、部落解放同盟丙田県連合会は、被告乙山市に対し、右研修中止に抗議して「日共の悪らつなる策動を断固粉砕するため乙山市長をはじめ乙山市議会議長、教育長交渉」をするよう要求し、同月一九日、その旨の交渉がもたれたこと、以上の事実が認められる。《証拠略》には、右乙四三号証は、原告が文書への署名はできないが、口頭では約束するとのことであつたため、同号証を作成したとの部分があり、なるほど、同号証はそのような体裁の記載となつているが、「学校運営に協力」することが、それまでの原告の甲田小問題への態度を改め、これを差別事件として部落解放同盟と提携して取り組むとの趣旨であつたとすれば、口頭であつても原告がこれを受け入れるとは到底考えられず、また、同証言によれば、同号証作成時点で同時に乙川一郎議員が身元保証人たる意識をもつて原告を十分指導する旨の念書を作成したことが認められるのであるが、右念書が作成されたのも、かえつて、原告の意思にかかわらず、乙川一郎議員の責任において原告を「学校運営に協力」させることが約された可能性を示唆させるのであつて、これらの点を鑑みると、甲川教育長の右証言部分にはなお疑問があり、にわかに採用することができない。他に前記認定を覆すに足りる証拠はない。

9  請求の原因2(9)について判断するに、《証拠略》によれば、市教委は、前記認定のとおりに原告の名誉回復措置をとることを合意しながら、これをしなかつたこと、昭和六三年八月末、連絡先を乙山民主商工会内とする公正民主の同和行政をすすめる県北連絡会議発行のビラが発行され、さらに九月一日付で原告を支援する甲田小保護者二名からも同校保護者宛に文書が送付されたが、これらの文書中に、世論の高まりから市教委が折れて研修中止に至つたかのような記載があつたため、学区内保護者に動揺が起きないよう甲田小から市教委宛対応が求められたこと、そこで、市教委が甲田小教職員に検討を求めて作成、配付されたのが確立を願つてであり、その検討を踏まえて甲田小保護者宛発行されたのが充実を願つてであること、以上のとおりに認められ、この認定に反する証拠はない。

10  請求の原因2(10)は、名誉毀損とある部分を除き、原告と被告丁原町との間に争いがない。

三  請求の原因3について判断するに、本件広報乙山、本件ポスター、本件広報丁原に同3(1)ないし(3)摘示のとおりの記事があることは各当事者間に争いがない。

よつて、同3(4)及びこれと関連する抗弁につき一括判断するに、別紙経過と弁論の全趣旨により成立を認める乙三七号証である別紙「ビラ・文書配付・該頭宣伝及び甲野教諭の見解発表」(以下「ビラ等及び原告の見解発表」という)、《証拠略》によれば、甲田小問題は、事件発生後間もなくの昭和六二年七月二〇日以降、原告を支援し、部落解放同盟の「教育介入」を批判する「双三・乙山同和教育研究サークル」、「教育介入に反対し民主教育を守る会」、全解連、日本共産党等と同事件を差別事件と認めない原告と日本共産党の「教育介入」を批判する部落解放同盟、部落解放子ども会・部落解放奨学生北部地区指導者協議会等とが激しく対立し、文書を用い、あるいは集会等で互いに原告の実名を挙げて非難の応酬を繰り返していた上、市教委は、昭和六二年一一月に市教委見解を、県事務所は、昭和六三年三月二二日付県事務所見解を発行してそれぞれ各見解を公表していたのであるから、遅くとも本件広報乙山が発行された同年五月以降の甲田県北一帯においては、教育関係者はもとより、一般の市民においても周知の問題であり、したがつて、右各記事にいうO教諭が原告を指すことは自明の事実であつたものと認められる。

そこで、以下、本件広報乙山等の各記事につき、原告の名誉を毀損するものか否か検討を加える。

1  先ず、本件広報乙山についてみるに、同記事によれば、一般読者に対し、要するに、明白な差別事件が起こり、深く傷つき悩む児童がいながら、原告は、理不尽にもこれを否定し、さらに、教育公務員としてのあり方を逸脱して外部団体とともに自ら積極的に部落差別に加担しているとの印象を与えるものと認められるのであるから、これが公立小学校教諭としての原告を、差別主義者であり、教師としての適格性に問題があるものとしてその社会的評価を失墜させるものであることは明らかというべきである。被告乙山市は、これをしも名誉毀損とならないと主張するけれども、本件広報乙山の記事は、原告を単に侮辱するのでもなければ、部落差別問題に対する原告の主義、主張それ自体の誤りは批判しようとするものでもなく、同問題に対する公立小学校教諭としての原告の行状、態度に関し、事実を摘示してその攻撃をするものであり、これにより原告の右行状、態度が断罪されていることは明らかである。したがつて、本件広報乙山の記事は、単に原告の名誉感情のみを侵害するものではないのであつて、被告乙山市の主張は、およそ採用の限りではない。

しかして、真実性の抗弁につき判断するに、先ず、「『えた・非人』という賎称語を直接あびせるという差別事件が起きました。」との部分に関しては、前記二1において詳説したとおりであり、むしろ、そのような事実はなかつたと判断されるべきなのであるから、これが証明されたとは到底いえない上に、被告乙山市らは、本件広報乙山発行前、市教委において自ら市教委見解をまとめており、そのうち、少なくとも別紙経過中のA子の供述内容とその変遷経過とを熟慮するならば、《証拠略》にさえあるとおり、誰もが「『ようわからん。』『ちがうかもしれん。』というA子の言葉に戸惑い、『空耳だつたのでは。』『本当にそうであつたのか。』という思いが先行」するのが当然であつて、そのことは、別にA子の心情を理解するか否かによつて結論が変わることではない。というよりも、かえつて、そのような情緒的要素をからませたことにより、A子の発言自体からして当然に疑問を抱いてしかるべき、まことに根も葉もないあやふやな話までをも信じ込もうとしたのであつて、この点に根本的な無理があり、右記事のとおりに断言したことについては、明らかに過失がある。

次に「問題ではない」等の原告の発言についての記事に関してであるが、なるほど、別紙経過中の原告の発言内容を摘記すれば、右記事のように要約できないでもない。しかしながら、それは、別紙経過と取り組み等を参照できる場合にのみ原告主張の趣意が理解できるのであつて、右記事のように、明白な差別事件があつた如き記事に続けて何らの理由もなく記載されれば、一般読者には、いかにも原告が理不尽な主張をしているかの如く読まれるのであり、この点において、原告の意図から離れ、しかも、原告を差別者、教師不適格物におとしめる真実に反する記事となるのである。被告乙山市の主張は、甚だしい強弁である。

次に、原告が「差別ビラをばらまき」「差別扇動を行なう」との記事に関しても、何が差別かについては種々異なつた意見があり得るのに、その「ビラ」や「扇動」の内容も明らかにせず、かつ、何故差別なのか理由も示さずにかく断定することは、およそその真実性を証明できることではない。

さらに、その後の記事についても、A子が「傷つき悩んだ」ことは、前記のとおりに「えた・非人」との発言の存在自体が危うい以上、これが証明されるはずはなく、七月一〇日の職員会議において、原告が「A子さんが訴え出た事実すらももみ消そうとする態度に出」たとか、「誤つた一方的主張」「誤つた事実が広められました」との部分も、前記「問題ではない」との記事との関連で真実に反する記事であるほか、後記研修命令の違法性において認定するとおり、原告が職員会議の内容を「みだりに外部に漏らし」たとの記事もまた事実に反する。要するに、本件広報乙山の記事は、同記事中にみえる丁川教諭の暴行についての記事からも明らかなとおり、極端に一方的立場に偏した虚偽の記事であり、被告乙山市がかく信じるにつき過失がなかつたとは到底いえない代物である。

なお、実行委見解が真実に反し、しかも、それにつき被告乙山市に過失があることは、同見解が本件広報乙山中の最初の記事とほぼ同一であることから明らかである。

2  本件ポスターについても、右実行委見解と同断である。

3  本件広報丁原の記事についてみるに、《証拠略》によれば、一部原告の主張に副う部分があるとはいえ、同記事によつても、一般読者をして、本件広報丁原と同様、要するに、明白な差別事件が起こり、深く傷つき悩む児童がいながら、原告が現存する厳しい部落差別を否定する誤つた主張をして学校教育に支障をきたしたとする点で、原告を差別者、教師不適格者としておとしめる印象を与え、その社会的評価を失墜させて原告の名誉を毀損するものである。

しかして、真実性の抗弁については、弁論の全趣旨により、被告丁原町においても市教委見解を参照し得たことが認められるのであるから、同被告においても容易に「えた・非人」との発言の存在に疑問を抱き得たはずであり、この点につき、同被告に過失があつたことは否定できない。確かに、市教委、県事務所は原告の監督機関であり、また、市教委見解、県事務所見解には結論として右発言があつたとされていたとしても、同被告の責任において本件広報丁原を発行する以上、安易にこれに便乗することは許されず、自らの検討と判断を要するのは当然である。

以上の次第であり、請求の原因3(1)ないし(4)は、全て原告主張のとおりに認めることができる。

四  請求の原因4について判断する。

別紙経過、取り組み、ビラ等及び原告の見解発表、《証拠略》によれば、本件第一次研修命令に至る経緯につき、次の事実を認めることができる。すなわち、甲田小問題に揺れる中、甲川教育長と戊原校長とは、昭和六二年一二月末ころから原告の長期研修を協議することがあり、これが甲田小内部で噂にのぼることもあつたが、翌昭和六三年に入ると、部落解放同盟から、その組織としての要求ということではないものの、甲川教育長に対し、原告の人事問題に関して、前記二3において認定した丁川教諭の原告に対する暴行により同教諭が文書による訓告を受けたのであるから、原告についても放つておかず何らかの処分があるべきだ、あるいは、原告には永久に教壇に立つて貰いたくないといつた要求が出されたこと、その後、同年三月一九日に至り、前記甲山部落解放同盟丙田県連合会委員長から県事務所、市教委に対し、原告が甲田小にいたのでは甲田小問題解決のためには具合が悪いとの考え方を背景として、より強い指導を求め、特に、県事務所に対しては、同事務所としての甲田小問題に関する見解を公表するよう迫つた(その結果、作成されたのが同月二二日付県事務所見解である)ため、このような状況に直面した原告と前記原告の支援団体とは、原告の処分、同年四月期の他校への異動があるのではないかと警戒してそのようなことのないよう甲川教育長に申し入れ、一方、部落解放同盟においても、処分も異動もないというのではおかしいとの声があがつたが、結局、三月二六日の内示において、原告の異動はないことに落着したこと、ところが、甲川教育長は、同月三一日、密かに県教委に対して原告の研修を要請し、甲田小始業式当日である翌四月六日、発令を可とする旨の内諾を得、同日午後の県教委による原告からの事情聴取を経た翌七日朝、本件第一次研修命令が発令されたこと、しかるに、この間、次のような重大な事実がある。すなわち、同月四日、部落解放同盟甲田支部は、原告の処遇に不満であり、処分なり異動なり県教委、市教委のより厳格な措置を求める、ついては児童の休校も辞さないとの意見を甲川教育長に伝えたこと、一方、戊原校長は、同月五日、丁川教諭から、部落解放同盟は、県教委に対し、原告の処分を求め、同日明け方までその回答を待つたが、県教委が何らの処分をしないため、抗議の意味で、部落解放同盟の取り組みとして始業式当日である六日から児童を休校させるとの話を聞き、翌六日、その旨を甲田小職員朝会において話すとともに、同日、現に一児童が学校を休校して集会所で学習している旨をも話したこと、また、同校長は、甲川教育長からも本件第一次研修命令を県教委に要請していることを全く知らされておらず、同月六日の職員朝会において、既に決定されていたとおり、当年度原告が理科専科教諭となることを発表したところ、翌七日朝、本件第一次研修命令が現に発令されて初めてこれを知つたこと、三月末から本件第一次研修命令発令まで、原告は勿論、戊原校長も原告の研修についての意見、希望を聴取されたことはなかつたこと、そして、本件第一次研修命令発令後、児童が登校するようになつたこと、以上のとおりの事実が認められ、この認定に反する証拠はない。右一連の事実関係に加えて、前記二8において認定した本件第二次研修命令の取消に当たつて部落解放同盟がとつた態度と《証拠略》の記載とを併せ斟酌するならば、右三月二六日以降、部落解放同盟が市教委に対し、最終的には児童を休校させるとの強硬手段をとつてまで原告の処分を要求したことは、殆ど確実であると認められるのであり、これと右認定の本件第一次研修命令発令との接着性や関連性に鑑みる限り、甲川教育長において、右休校による部落解放同盟との軋轢や混乱を慮り、これを回避するために、原告を一時的に甲田小から排除する方便として本件第一次、次いで本件第二次研修命令が発令されたことが強く推定されるというべきである。

加えて、本件第一次、第二次研修命令発令の理由にも多大の疑問がある。

本件第一次、第二次研修命令は、前記二6で認定したとおり、「教育長及び校長の再三にわたる指導や指示に従わない態度をとつている」ことを理由として発令されており、その具体的な内容が被告乙山市の認否と反論3記載の事情であるというのであるが、甚だ抽象的であり、原告が具体的に何に反したのか理解しかねるものの、そのうち、(2)ア、エについては、結局のところ、請求の原因2(2)に摘示した三点にわたる原告の主張に関わると思われる。ところで、これら三点にわたる主張は、いずれも教育公務員として、また、当該問題の起こつた甲田小教諭として一つのあり得べき見解である(特に、前二者については前記二1に指摘したところである)から、教育長、校長から監督権の行使を受けてまで是正されるべきとも思われないが、先ず、前二者は、原告がそのような意見を有し、かつ、これを公表することは、法律によつても禁止、制限、変更を加えることができないのであり、いわんや教育長、校長の監督権あるいは職員会議の決定によつてそれができ得るはずはなく、これに従わなかつた原告に何らの責めはない。また、後者の他の民間団体、すなわち、部落解放同盟の介入に反対する点についても、確かに、《証拠略》によれば、県教委、市教委、甲田小ともに差別問題については部落解放同盟と提携して解決に当たることが方針とされているのである。しかし、これらは、いずれもその性質上法規としての性質はなく、また、原告の内心の自由、表現の自由に関する事柄であるから、教育長、校長の監督権の行使により右見解を改めるべき法的拘束力が生じるはずもないから、前二者同様に原告が反対の意見を持ち、かつ、これを公表すること自体には何らの妨げもない。要するに、右三点にわたる原告の主張に禁止、制限、変更を加えようと指導すること自体、元来、監督権が及ばない事柄まで規制しようとするものであつて、これに従わなかつた原告に研修の必要があるはずはない。

前記認否と反論3(2)イの部外秘書事項は守るとの点については、先ず、右のとおりに部落解放同盟と提携する問題については、原則として部外秘事項はないことを指摘する必要がある。なぜなら、部外とは甲田小以外の一切をいい、部落解放同盟に報告することにより、当該事項は既に部外に出たのであつて、もはや論理的に部外秘事項でなくなつてしまうからである。これに反し、部落解放同盟に報告することはできるが、他の団体に報告できない事項を認めることは、いかに当該団体と提携することが甲田小の方針であつたとしても、依然として外部の一民間団体に過ぎない部落解放同盟に一種特別の資格を認めることとなり、これは明らかに公立小学校の一般性、中立性を侵すものである。それゆえ、部外秘事項を残すか部落解放同盟と提携するかは、裏腹の関係となり、その都度、甲田小において判断されるべきものである。提携とは右の趣旨に理解されなければならず、部落解放同盟だけに右特別の資格を認めるべき理由はない。そうだとすれば、甲田小問題が部落解放同盟甲田支部と提携されたことが明らかな本件においては、原告が部外秘事項を外部に漏らしたということを得ないし、そもそも、戊原校長の証言により、原告が漏らしたとされる乙二三号証中の「ビラ・該頭宣伝についての見解」も、部外秘とするほどの秘密性があるとは思われない。この部外秘事項は守るとの指導も、実のところ、前記アと同様、原告を規制して市教委、甲田小の部落解放同盟との提携の方針に従わせようとする手段に過ぎない。

前記認否と反論3(2)ウについては、《証拠略》によれば、同号証である原告の学級通信「丙原」が差別文書とされたことから、もうけられたものと認められるが、差別とは何かについては種々意見が別れうるのであり、右「丙原」が直ちに差別文書といえるか疑問がないではない。いずれにしろ、戊原校長の証言により、右「丙原」は間もなく回収されたことが認められ、以後、右ウに違反した原告の行為はないから、これもまた研修の理由とはならない。

さらに甲川教育長は、本件第一次、第二次研修命令発令の理由を種々証言するが、前掲甲六、七号証記載の理由との関係で、次の二点を検討する。

1  戊原校長から総括学習会の出席を職務命令により命じられていたのに欠席したこと

2  原告の学級で児童が途中下校するなどのトラブルがあり、原告の児童に対する対応に問題があること

先ず、1については、別紙経過、《証拠略》によれば、昭和六二年九月二四日、同年一一月一八日、昭和六三年二月一〇日、同年三月一七日、甲田小主催の差別発言問題に関する総括学習会が開かれたが、戊原校長からこれに出席するようその都度職務命令が発せられたにもかかわらず、原告はそのいずれにも出席しなかつたことが認められるけれども、甲川教育長の証言によつても、右総括学習会には、部落解放同盟員多数が出席することが認められるのであるから、別紙経過、取り組み、ビラ等及び原告の見解によつて認められる部落解放同盟と原告との激しい対立関係を考慮するならば、原告が右総括学習会に出席したことも、およそ建設的な討論ができようはずがなく、かえつて、原告に対する猛烈な非難の場となる可能性が高い。したがつて、右職務命令は、原告に不可能を強いるものであつて、著しく妥当性を欠き、明白に違法、無効であるから、これに反した原告に研修命令を発令するに足りるほどの理由はない。

2については、《証拠略》によれば、確かに、数回にわたつて原告の学級の児童が途中下校した事実が認められるものの、《証拠略》によれば、かかる事態が生じたのは、部落解放同盟の主張に賛同する教師らの悪意の策動があつたとのことであり、右のとおりに激しい対立関係を考えると、十分な事実関係の調査のないまま、原告の児童に対する対応に問題があるとは断定できない。

以上のとおりであり、右二点の理由も本件第一次、第二次研修命令の発令理由としては十分でない。

最後に、被告乙山市の主張全般に鑑み、付言するに、同被告は、甲田小問題がかくも紛糾したのは、原告が問題を日本共産党、全解連に持ち込み、その主張のみに拘泥して連携を一層強化する態度をとつたからである旨主張するけれども、同和問題については、部落解放同盟と日本共産党、全解連との間に深刻な対立があり、重要な政治問題の一つとなつていることは公知の事実である。にもかかわらず、それを承知の上で、被告乙山市と市教委は、市行政として部落解放同盟と提携するとの教育方針をとり、しかも、《証拠略》によれば、差別に関する見解までも部落解放同盟と揆を一にしているのであるから、甲田小問題が地域住民をも巻き込んだ大きな問題となつたのも、いわば必然の事態なのである。したがつて、なるほど、児童の教育環境だけを取り上げれば、かかる混乱がない方がよいにせよ、一旦問題が生じた以上、被告乙山市としては、教育行政全般の責任者として、できるだけ児童の教育環境を保障しつつ、先の部落解放同盟と提携するとの方針の市行政としての正当性を訴えるべきなのであり、いたずらに原告が問題を日本共産党等に持ち込んだとか、その主張にのみ拘泥して連携を一層強化するなどと主張して問題を原告一個人の政治傾向に矮小化すべきではない。ましてや、原告は、本件全証拠によつても、甲田小内外において、公務員として許されない政治行動をしているとは認められず、前記「丁田・乙山地区同和研究サークル」の一員として、日本共産党等とは一線を画した行動をしているのであつて、同被告の右主張自体が失当というべきである。

以上のとおりであるところ、結局、被告乙山市は、原告のほぼあらゆる問題点を挙げて本件第一次、第二次研修命令の理由とするが、そのいずれもが根拠となるには足りず、右各命令については、前記推定のとおりに、その目的において裁量権を逸脱した違法があるというべきである。

五  請求の原因5について判断するに、同(1)の事実は当事者間に争いがないところ、確立を願つて、充実を願つてが各作成されるまでの経緯については、前記二8、9で認定したところである。

よつて、同(2)につき検討するに、右各記載によれば、原告の教育公務員としてのあり方に問題があつて研修命令が発令されたが、学校態勢の確立を困難にしたという本人の反省が乏しいため、さらに三か月間の研修を命じて反省を促したところ、研修の結果により、原告が「教育態勢」「学校運営」に協力する旨述べるようになつたため研修を打ち切つたとあり、確かに、原告に非があり、その非を原告も認めるようになつたと読まれる上、これらの読者が、甲田小教職員や保護者であることからすると、原告が「教育態勢」「学校運営」に協力するということは、直ちに、原告が従前の主張を撤回し、A子に対する差別事件があり、部落解放同盟とも提携して取り組んでいくと主張するようになつたと理解されるものである。そうだとすれば、右各記載は、原告の人物、教師としてのそれまでの評価を一変させ、著しく信頼を損なうことは明らかであり、しかも、前記認定からこれも虚偽であることを考慮すると、右各文書とも原告の名誉を毀損するものというべきである。

六  請求の原因6(1)について判断するに、丙川春夫市長が市行政の責任者かつ本件広報乙山の発行責任者として公権力の行使に当たる公務員であること、甲川松夫が市教委教育長として公権力の行使に当たる公務員であることは、当事者間に争いがなく、その余の事実関係については、既に判断したところから、全て原告主張のとおりに認められる。

したがつて、被告乙山市は、後記のとおり、国家賠償法、民法による損害賠償と名誉回復措置をとる義務がある。

同(2)について判断するに、被告丁原町の総務課長乙原竹夫が本件広報丁原の編集、発行責任者であり、公務員であることは、当事者間に争いがなく、右争いがない事実によれば、同人が公権力の行使に当たつていることも明らかである。そして、その余の事実関係については、既に判断したところから、全て原告主張のとおりに認められる。

したがつて、被告丁原町は、後記のとおり、国家賠償法、民法による損害賠償と名誉回復措置をとる義務がある。

七  請求の原因7について判断する。

1  慰謝料

同(1)の被告乙山市関係について検討する。

慰謝料額算定に当たつて先ず指摘されなければならないのは、本件広報乙山が地方公共団体である被告乙山市の発行する広報紙であり、その公共性から、市内全戸に無償で配付され、しかも、市民にとつて正確で、重要な情報を提供すべき使命を有していると同時に、市民からも高い信頼性を勝ち得ていることである。したがつて、右広報紙の記事については、格別の真実性が要請されているといわねばならない。特に、甲田小問題が起こつて以後、教育関係者は勿論、多数の一般市民にまで被告乙山市の同和教育に対する関心が高まり、しかも、敵対関係にあるとまでいえる部落解放同盟等と日本共産党、全解連等とがそれぞれに各種文書、集会による宣伝活動をする中、一方は明白な差別事件が起こつたと言い、他方は差別事件ではないと言い、全く相反する内容のいずれの主張が真実であるか、同和問題に関心を持つ心ある市民にとつても、まさにそこに焦点が絞られる状況にあつたことも重視されなければなるまい。このような事情のもとで、号外として発行された本件広報乙山が、前記のとおりに甲田小事件を明白な差別事件と断じて報道したことは、それだけでも原告に非常な衝撃を与えたであろうことは想像に難くないばかりか、現に甲田小教諭たる地位にあるものが、差別者であり、教師不適格かの如き烙印を押されたのであるから、その社会的評価は大きく毀損され、教え子たる児童、保護者からも不信を被らざるを得ないのであるから、これによる精神的苦痛は重大といわざるを得ない。また、本件ポスターによる名誉毀損も、多数の団体の連名であること、かなり長期間にわたつて公衆の目に触れるよう製作されていること、《証拠略》によれば、五〇〇〇枚製作され、内七〇〇枚が乙山市内に貼付され、三〇〇〇枚が市外に貼付を依頼したとあることなどを考慮すると、これによる原告の苦痛も甚大である。加えて、確立を願つて等についても、その読者が甲田小関係者に限られるとはいえ、逆にいえば、原告が日常的に接する人物であることを考慮すると、その苦痛も決して軽視されるべきではない。

さらに、原告は、違法な本件第一次、第二次研修命令により、教育公務員として問題があるとされた上、新学期当初から約三か月もの間、意に反して研修を受けさせられたのであるから、この点の苦痛も大きい。

そこで、以上の事情を総合し、原告の精神的苦痛を慰謝するには、金三〇〇万円をもつて相当と認める。

同(1)の被告丁原町関係については、広報紙の性格については被告乙山市同様であるほか、原告が丁原町民であり、妻子等家族も居住していることが重視されなければならないが、本件広報丁原は、本件広報乙山に比較すれば、なお名誉侵害の程度はかなり低く見積もる必要がある。

そこで、以上の事情により、原告の精神的苦痛を慰謝するには、金四〇万円をもつて相当と認める。

2  弁護士費用

本件訴訟の難易、審理期間、認容額等を考慮し、賠償を要すべき弁論士費用は、被告乙山市において金五〇万円、同丁原町において金一〇万円を相当と認める。

3  名誉回復措置

前記1で述べた広報紙の性格と本件ポスターの貼付状況から考えると、原告の損害の回復は慰謝料の支払だけでは十分でなく、同一の媒体を通じて名誉回復措置がとられなければならない。

よつて、《証拠略》に照らして、請求の趣旨2、4の名誉回復措置を相当と認める。但し、別紙三記載の「お詫びと訂正」については別紙一記載の「お詫びと訂正」に、別紙四記載の「お詫びと訂正」については別紙二記載の「お詫びと訂正」にそれぞれ文章を改める。また、ポスターの掲示場所については、被告乙山市において直接管理する場所に限ることとする。

八  結論

1  原告の被告らに対する本訴各請求は、次の限度で正当であるから認容し、その余は失当であるから棄却する。

被告乙山市は原告に対し、金三五〇万円及び内金三〇〇万円に対する訴状送達の日の翌日であることが記録上明らかな平成元年六月二九日から完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払う義務がある。

また、被告乙山市は、原告に対する名誉回復措置として、広報乙山に別紙一記載の「お詫びと訂正」と題する謝罪文を二段抜き見出し二倍活字で同紙最終面に一回掲載し、かつ、右の謝罪文を縦七三センチメートル、横五二センチメートルのポスターにして左記掲示場所の見えやすい箇所に六か月間掲示する義務がある。

(1) 乙山市役所の掲示板

(2) 乙山市内の各小学校、中学校の掲示板

(3) 乙山市内の各公民館の掲示板

以上

被告丁原町は原告に対し、金五〇万円及び内金四〇万円に対する訴状送達の日の翌日であることが記録上明らかな平成元年六月二九日から完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払う義務がある。

また、被告丁原町は、原告に対する名誉回復措置として、広報丁原に別紙二記載の「お詫びと訂正」と題する謝罪文を一段抜き見出し二倍活字で同紙最終面に一回掲載する義務がある。

2  よつて、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法八九条、九二条、九三条を適用し、なお、仮執行宣言は相当でないからこれを付さないこととして、主文のとおり判決する。

(裁判官 近下秀明)

《当事者》

原 告 甲野太郎

右訴訟代理人弁護士 高村是懿 同 山田慶昭 同 吉本隆久

被 告 乙山市

右代表者市長 丙川春夫

右訴訟代理人弁護士 阿波弘夫 同 久行敏夫

被 告 丁原町

右代表者町長 戊田夏夫

右訴訟代理人弁護士 大谷喜之

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